鈍い切っ先を薄く雲間から覗かせた灰色の月は、荒野の行軍を気だるげに見下ろしていた。
帝国六将軍として雷鳴を轟かせたテオ・マクドールの部隊が遠征を終え、白い荒れ地を帰路としたその晩。
野営地の天幕で、テオはまもなく会える小さな息子を思い出し、中々寝つけないでいた。
どうせ眠れないのなら・・・と彼は不寝番をする部下に労いの言葉をかけると、一人、部隊から離れて荒野に夜の散歩と洒落込んだ。
半時ほど進むと、戦場の跡に出くわした。
異国の詩で“強者共が夢の跡”と謳われていたが、よく言ったもので、そこここに白い兵士達の亡骸が、人生の終幕の嘆きと歓びを風に乗せていた。
人とはちいさきものよと感慨にふけったテオだったが、ふと、目の端に動く影を捕らえ現世(うつしょ)に引き戻された。
(こんな夜半、こんな荒野で――亡霊の類いか?)
使い込まれた腰の長剣に手をかけ、雷鳴のごとき朗々たる声で誰何する。
「そこのお前。ゆくあてのない生霊なら、私が導いてやるぞ」
すると、闇の向こうから、いらえが夜風に乗ってきた。
・・・・・・俺は、しがない行き倒れだよ・・・・・・。
まだ若い――二十歳くらいの艶のある佳い声だ。
一度でも寝所で睦言なぞ交わそうものなら、去る女はいないだろう。
「行き倒れが、ごそごそと戦場で亡骸を漁るものか。不逞の輩、こちらへ来て面を見せよ」
テオは剣を青眼に構えた。
「・・・おっかないこった。俺は間違いなく行き倒れだぜ? 三時間後にはな」
おどけた調子で肩をすくめた若者は、薄い月明かりに照らされて、かすかに容貌が見て取れた。
異国の赤い装束。すらりとのびた形の良い手足。手になじんだ棍。頭には、あれは羽根飾りだろうか。
「旅の者が、夜盗に成り下がったかな?」
「言うねえ、将軍さん」
テオの身なりから相応の身分を推察したらしい。
さも愉快そうに若者はテオの方に進み出た。
「言葉で飾る義理は無し。ま、そんなところでいいさ」
面白い若者だと思った。
軽口を叩いてはいるが、隙のない身のこなしから相当の手練れだということは見て取れる。また、百戦百勝と謳われる自分の覇気をまともに浴びて、すくみすらしないところを見ると、年齢に不相応なほどの修羅場をくぐり抜けているに違いない。
「あてのない旅の途中でね。路銀がつきたから、そこらでおねんねしている兵士様方から頂戴しようと思ったわけ」
「ふむ・・・おぬしの生国では、奪うのが掟であったのか」
若者は少し目を丸めたようだった。
死者を冒涜するなと諭されるに違いないと思っていたのだ。
「世の貴族様方が、皆あんたのように聡ければ多少は奪わなくてすむかもしれないぜ?」
憎まれ口に妙に邪気がない。
テオはいよいよこの若者が気に入り、少し問答をしたくなってきた。
元々、身分の別をあまり気にしない性質だったし、武芸と信念に豊かな才を持つ者は大好きであったのだ。
「そうだな――私の天幕に来れば、酒と干し肉を馳走しよう。少なくとも行き倒れにならずにすむと思うが、どうだ?」
「今しばらくの路銀と、美女も欲しい」
図々しい言い草に、思わずテオは声をあげて笑った。
「あいにく遠征からの帰参の途でな。美女はおらんが――ふむ、私の息子に逢わせてみたい気もする」
この将軍の息子なら、さぞ厳めしい面構えの少年だろうと若者は思ったか思わなかったか。
形だけは神妙に、テオに問いかけた。
「そこまでの待遇の見返りは?」
テオは少々悪戯めいた響きをかすかに声に乗せ、
「私との手合わせだ」
「いいね」
愉快そうに若者は手を打った。
「言っておくが、私は強いぞ」
「俺も強いぜ」
どこまでも悪びれない風情の若者にさらに大きく笑みを返すと、テオは思いついたように尋ねた。
「君の名前は?」
「ハクヤ」
「ほう・・・西方の響きがする」
テオは遠くを懐かしむように目を細めた。
気だるげな月明かりの下、野営地の天幕へと向かう影が二つ。
彼らを包む夜闇は思った。
二人はまるで、旧知の酒飲み友達のようだと・・・・・・。
−了−
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