‡ 鱗の天使 ‡

5・星に届く海












 白い月が空から姿を消すその日。新たな月を生むべく、無慈悲に恵みの光を奪うその日。
 月に一度、大潮がやって来る。
 潮の満ち干の差がもっとも大きく、満ちる潮は全てを飲み込み、引く潮は新たな大地を示すその日に、ハクヤとジグドは船出した。
 普段の「漁」とは違い、シュエリもサージェも同行している。
 海賊達の第二のアジト――沖の小島の洞窟を穿って設けた彼らの宝物庫への道が、この日にのみ開くのだ。普段なら小島の周囲は浅瀬に覆われ船で近づくことはままならないのだが、大潮の満潮時には水位が上がり、来訪者を迎えてくれる。
「星が――近いね」
 甲板から夜空を見上げ、シュエリが眩しそうに吟じた。
 ハクヤだけでなく、今はシュエリも自慢の黒作りの棍を持っている。海賊砦に来るときに獣道に隠しておいた相棒だった。
「月が見えてたなら、いつもより大きく感じるのかも知れない」


 シュエリがソウルイーターを発動させ、海蛇を倒した日の晩。
 ジグドはハクヤとシュエリの部屋を訪れ、ある提案をした。


「ちと、取り引きしたいんだがな」
 飾り机の椅子を、ハクヤとシュエリが座っている寝台のそばまで持ってきて、どかりと腰を降ろしてジグドは切り出した。
「いつも大潮の日に、戦利品を隠れ家に移しているんだが――」
 ジグドの用件とはこうである。
 海賊行為で得た戦利品が一定量たまれば、金塊など保存のきくものだけ、別の隠れ家に移動させているのだという。全ての財産を砦においておくのは何かと危険だというサージェの提案で、ある小さな島にアジトを作っているらしい。
 労せずして戦利品のありかを知ることができたハクヤとシュエリは、内心でほくそ笑んだのだが。
「だがな、その島に魔物が住み着いて近寄れなくなった。倒そうと試みても、武器の類いが効かず、何人かの舎弟が犠牲になった。腕っぷしで稼ぐのが誇りの海賊が恥ずかしい話だが――」
「それを倒す手助けをしろ、と? それならあんたは俺達の統領だ。取り引きなんてまどろっこしいこと言ってないで、命令すればいい」
 どちらが統領なのか分からない横柄さで、ハクヤは切り返した。
「まあ、最後まで聞け。俺が助力を仰ぎたいのは、実はそっちの嬢ちゃんだ」
 ぎょっとしてシュエリが顔を上げた。
「私には戦いの心得など――」
「海蛇を屠ったのは、あんただろ?」
「いいえ、サージェ様ですが」
 間髪を入れずにシュエリは返したが、ジグドも引き下がらなかった。
「相当な魔力が無けりゃ、あの魔物は倒せねえ。特に産卵期の今は狂暴になってるからな。到底サージェには無理な話さ。
 そして、この砦にはそこまで魔術に秀でたものはいないし、ハクヤは俺に同行して海にいた。あんたしかいないって訳だよ」
 シュエリは押し黙った。
 ハクヤが組んでいた腕を解いて続けた。
「こいつの力を借りて島の魔物も倒したいってことだな? 島に入れなきゃ、宝を隠すことも、すでに隠した宝を取り戻すこともできないからな」
 重々しくジグドが同意した。
「一つ気にかかるのは――嬢ちゃんよ。そこまでの魔力を持っていながら、どうしてこんな処に捕虜になってる? あんたがその気になれば、この砦をふっ飛ばして逃げることも可能だろう。
 そんな嬢ちゃんが俺の命令を甘んじて聞く器には見えねえ。だから、取り引きしたい」
 ジグドはジグドで、シュエリに畏怖を覚えているらしい。人を見る目は確かなのだと、少しハクヤは彼を見直した。
 シュエリは返答に戸惑ったが、軽くうなずき返したハクヤを見て、意を決してジグドに切り出した。
「・・・じゃあ、僕が無事にその魔物を倒せたら、あなたが持ってる宝物を一つ頂戴できるかな?」


 ジグドの了承を得た上で、シュエリは海賊船に乗ったのである。
 シュエリもハクヤも己の素性こそ明かさなかったが、この海賊砦に入り込むために悪漢と貴族の娘を演じたことだけは明かした。二人でずっと旅をして、魔物相手に幾らか場数を踏んでいるということも。
「・・・もうすぐだ」
 相も変わらず淡々としたサージェの知らせに、一同は前方を振り仰いだ。
 星明かりに薄く浮かぶ島影が見える。
 普段ならこの辺は、小さいが鋭角にそそり立つ幾つもの岩に阻まれ航行できないのだが。
 海賊船は慎重に進路を選び、開かれたばかりの小島へ舵を取った。











 島というよりは岩場であった。何時間も歩き続ければ、足の爪が割れるんじゃないかという恐れすら働く。
 目指すアジトは島の奥、海風を避けた岩場の洞窟がそれであった。
 入り口には岩で扉を設け、ここに穴なぞ無いようにカムフラージュしてあるという話であったが、果たして。


「あれ・・・卵じゃない?」
「俺の目が潮風で曇ってなければ、卵に見えるな」
 遠目に洞窟を探るシュエリとハクヤ。
 白くぬめりのある巨大な――人間の背丈の半分ほどもあろうかという卵が入り口から数個見え隠れしていた。海蛇に引き続き、こちらの魔物も産卵期らしい。
「じゃあ、あの横に砕けて転がってるのは」
「かつて、扉だったであろう岩だな」
 シュエリは小さく溜め息をついて、
「あの卵・・・一斉に孵ったら嫌だよね」
「刷り込みして味方につけるか?」
「貴族令嬢の次は、魔物使いの少年てわけ? 大道芸人に転職するよ僕」
「ああ、気張って稼いで、俺に楽させろ」
 慣れた・・・というより、慣れすぎた二人のやりとりを見て、ジグドとサージェは頼もしく思う半面、呆れもあった。
「おいおい、あんた達。そんな調子でいいのかい」
 シュエリ達のたっての希望で、海賊の部下達の同行を断ったのだ。魔法しか効かない相手であれば、むしろ足手まといになるからと。
 自慢の棍を軽く振り上げて伸びをしながら、ハクヤがおどけた調子で返事を返した。
「いいってコト。こちとら年季が違いますから。このガキもこう見えて、若作り――がッ!」
 シュエリにしたたかに踝(くるぶし)を蹴られ、ハクヤは目を白黒させた。
「口数の多い男は嫌われるよ」
 サラリと言い残して、さっさと洞窟に向かう。
「坊ちゃんさーん、待って下さーい」
 かつてのどこかの軍主の声色をまねて、ハクヤは彼を追いかけた。
 残されたジグドは、目下、最も信頼のおける部下のサージェに神妙な面持ちで問いかけた。
「逃げる準備、しておいた方がいいと思うか?」


「なんだか勿体ないけどなー」
 入り口に産みつけられた数個の卵を、自慢の炎で一気に焼き尽くしたハクヤは、
「人と魔物の共存って永遠のテーマだなあ」
などと不遜な冗談を嘯(うそぶ)いた。
「軽口叩いてないで、さっさと仕事して帰るの。こんな生臭い所、何時間もいたら鼻が曲がって死ぬ」
「育ちの良いガキはこれだから」
 呆れた口調で切り返しはしたが、内心、ハクヤはウキウキとしていた。
 淑女を演じたり、失敗に落ち込んだり、ここしばらく「いつもの」シュエリに接する機会を奪われていたのだ。
 やっぱりシュエリは、気の強い方が可愛い♪ などと、つい顔がほころぶ。
 妙なテンションのハクヤに少し寒気を感じつつ、シュエリはあたりの気配を探った。
 卵がここにあると言うことは、親の魔物が近くにいるはずだ。大切な卵よりも奥に潜むはずがないので、今は餌でも狩るために出かけているというところか。
「そこの動物にもてるおジィさん、様子はどう?」
「せめて、野性的な兄ちゃんと言ってくれよ」
 普段から犬とか猫とか羊とかムササビとかカットバニーとかに妙に好かれるハクヤは、密かにシュエリの羨望の的であったが、
「うーん、周囲一里四方、大好きな恋人の気配しか感じませーん」
と、おどけて答えて、当の大好きな恋人から睨まれる羽目になった。
「本当に他の気配が無いか、確かめてくる」
 言いながら、洞窟の入り口に引き返したシュエリだったが、刹那。
 潮風に乗って生臭い吐息が届いた。
「ハクヤ!」
「おーよッ」
 小山のような影がのそりと動き、次の瞬間、洞窟の入り口に姿を現したのは、自慢の巣に不埒にも侵入し大事な卵を焼いた、不逞の輩どもへの怒りで両目を爛々とたぎらせた大亀だった。


「武器が効かないっていうのは納得するなあ」
 フジツボに覆われた年季を感じさせる甲羅を見て、ハクヤが賞賛した。
 全長3メートル。もったりと掲げた首の位置は成人した人間の目線に等しい。真っ黒な眼球は妙に美しく、黒真珠さながらであった。
 鉱石のような甲羅と岩石のような皮膚に覆われた堂々たる体躯は、貫禄すら感じさせる。
 岩場を好んで巣を作り産卵することから、そのものずばり岩亀と呼ばれる魔物だったが、ある特殊な性癖で有名だった。
 残念ながら、海というものにとんと縁のないハクヤとシュエリは、その性癖までは知る由もなかったが――。
「俺より年上かも知れないぜ、この亀さん」
「じゃあ、年長者に対する礼儀をわきまえて接しなよ」
 すると、ハクヤは大真面目に一礼し、
「大亀様、この島の所有権を返して頂けませんでしょうか。元はこの海を縄張りとする海賊達が、宝物倉として使用していたものでございます」
 しかし、年長者たる大亀は若造に遠慮はしなかった。
 豪雨のような息吹を上げると、鈍重なる前足の一撃でその返事とした。
「おっと」
 盗賊の若者は悠々と背後に飛びすさって身をかわすと、
「大亀様は、『最近の若者は無礼者ばかりじゃ』と仰せの由にございます」
と、大亀の咆哮を勝手に翻訳した。
「・・・・・・。楽しそうだから、一人で退治してくれる?」
 半眼の眼差しでシュエリはハクヤを見返した。
「つれないなあ、魔力はお前の方が高いだろ?」
「海蛇倒して疲れちゃったもん僕」
 シュエリにとっては不毛なやりとりでも、ハクヤにとっては楽しいひとときだ。・・・目の前に魔物さえいなければ。
 これ以上時間を無駄にすると、愛しい少年がまた口をきいてくれなくなるかも知れないなと思い当たり、ハクヤは真面目に右手の甲に語りかけた。
 もっとも付き合いの長い、頼もしい相棒が宿った右手。
 地響きを立て、徐々に岩亀が近づいて来る。
「頼むぜ、女房!」
 その呼びかけもどうかと思う、とシュエリがつっ込む間もなく、ハクヤの右手から灼熱の大蛇がのそりと鎌首を掲げた。
 真の火の紋章が生んだ、炎の眷族――その荒々しくも神々しい光が、ゆっくりと大亀の方にのびて行った・・・・・・。







                                       −続く−



 海蛇とか大亀とか、なんか生臭い魔物ネタばかり続いてすみません・・・。うう・・・。
 こんなのより、イチャイチャ描きたいです・・・ていうか、次回はイチャイチャだー!(←禁断症状らしいです)。


†ほしにとどくうみ
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