‡ 鱗の天使 ‡

3・ふたつの海












 輝く朝。海鳥がのんびりとした声で一日の始まりを祝福している。波は母のように穏やかで、日差しは父のように大らかだった。
 初夏の波頭を切り分け、雄々しく滑りゆく海賊船が一隻。船腹に描かれた色彩鮮やかな人魚が戦果の祈りを謳い、年季の入った衝角が勇ましい戦歴を物語っていた。
 しかし、気候とは裏腹に、船上の人となったハクヤは少々不機嫌であった。
「よぅ、色男。昨夜は残念だったな」
 統領のジグドが、甲板に不遜な面差しで立つハクヤに声をかけた。
「お前さんも中々、甘ちゃんだったって訳だ」
 シュエリとの営みのことらしい。シュエリは啼かせたものの、自分は満足させてもらっていないことを差して、からかいに来たのだ。
 不機嫌の原因をつつかれたハクヤは、少し口元をヘの字に曲げて応じた。
「紳士だと言ってもらいたいね。少なくとも、他人の情事を覗かないくらいの礼儀はわきまえてるぜ」
「ああ――ま、お前が信じるか否かは別だが、俺は覗いてないぞ。部下からの報告を聞いただけだ」
 へえ、とハクヤは目を細めた。考えてみれば、貢ぎ物たるシュエリに手もつけずに部下に譲り渡すなどという芸当が出来るこの男も、案外器が大きいのかも知れない。
「砦に残したサージェも、お前が針通しするまではあの嬢ちゃんに手は出さないと言い張っていたからな。ま、安心して船上の人になっておけや」
 ・・・針通し・・・。
 恐らく処女を喪失させることだろうが、海の男達はこういう表現をするのかと、妙に感心しながらハクヤは能面のようなサージェの顔を思い出した。
「あの銀髪の兄ちゃんも、義理堅いこって」
 ジグド率いるこの海賊団は中々に規律が整っている。規律というよりは、統領のカリスマに魅せられて自主的に部下達が己の分をわきまえてしまう現象。古巣の雰囲気を思い出して、ハクヤは懐かしそうに水平線の彼方を見つめた。
 もっともサージェが本気でシュエリを襲おうとしたところで、彼の卓越した剣技をもってしても、少年の右手の死神が甘んじてそれを許すはずはない。その辺りは、ハクヤとて心配していなかった。
 だからこそ、こうやって砦にシュエリを残し、ジグドに従って海賊行為のために海に乗り出しているのである。


 不意に、マストの頂上から大声がした。
「左舷10度、商船だ! 旗印はタルミナ! ――大きいッ!!」
 見張り台の海賊が発した、臨戦の号令である。
「よっしゃあ、野郎共、仕事だぜ! 戦闘配置につけ! 気合い入れていけよ!! 自分のお宝は、自力で勝ち取れ!!」
 雷鳴のごときジグドの発破に、海賊達が鬨の声をあげる。熱気に帆がうなった。
 獲物を前に命を天秤にかけた、緊張とスリルと欲望がないまぜになる獣の快感。
 遠く忘れていた熱い旋律に、ハクヤの芯が疼いた。
 赤銅の棍を引き寄せ、気を高める。
「――奪うのが俺達の掟ってね!」
 水平線の向こうから白い姿を現した豪奢な商船を目で捕らえ、腹の奥から駆け登る高揚感にハクヤは不敵に笑んだ。










 さて、ジグドが部下とハクヤを引き連れ、荒くれ者の自己証明のために海へ乗り出した後。
 砦に幾人かの守備隊と、それをまとめるサージェと供に残された非戦闘要員のシュエリは、めざすお宝がどこにあるのか調べるための機会を伺っていた。
 この砦に入り込む直前、館の周囲はざっと見回ったものの、それらしい宝物倉はなかった。となれば邸内のどこかに隠してあるはずなのだが、そんな気配も無い。
 ――一体、どこに置いてあるんだろう?
 白絹の衣装は、悪漢を演じたハクヤによって昨夜破かれてしまっていたから、今は小柄な海賊の革服を借りていた。男物で当然のように汚れもあったが、女の衣類よりは断然落ち着いた。
 とりあえず厨房を借り、しおらしく紅茶など入れてみる。警備の者達に配るという理由をつければ、砦の中を自由に動き回れると考えたからだ。
 今朝の朝食もそうだったが、せっかくの捕らえた女だからと、きっちり食事作りをさせられた。牢に入れるでもなく大らかな気風だと呆れたが、「やっぱり女の作った飯は美味い」などと無邪気に喜ぶ海賊もいて、この温かさはかつての同盟軍――セイの本拠地を少しばかり思い起こさせた。


「まずは・・・上官からだよな」
 ティーカップを盆に載せ、三階建ての館の最上階へ登る。
 ジグドの部屋とサージェの部屋、他にいくつか小部屋があったが、まずサージェを訪ねて紅茶を渡してしまう。冷めてしまっては怪しまれる。
「・・・ああ、すまない」
 サージェは何か書類整理をしていたが、シュエリが顔を見せると無表情で振り向いて礼を言った。
「お口に合うかどうか、自信がないのですが・・・」
 ハクヤには絶対に言わない謙虚な台詞などつむいでみる。
「先にお毒見をさせて頂くのが礼儀でしょうか」
 シュエリの聡明な視線を向けられ、サージェは無色の声でつぶやいた。
「・・・あまり脅えた様子ではないな。過去に幾人か女を捕らえたこともあったが、泣くばかりだった」
「何事にも取り乱すなというのが、父の教えでした。いかなるときも淑女であれ、と」
 それは手間がかからなくて良い、とサージェは応じながら、シュエリの入れた紅茶に口をつけた。
 サージェの部屋は本人の印象通り、淡白でこざっぱりとした作りになっていた。構造と家具等の配置をざっと覚え、シュエリは彼の部屋を後にした。
 ドアをくぐろうとしたとき、不意に背後からまたも無色の声がかかった。
「・・・お前は・・・」
 いぶかしげに振り返るシュエリ。銀髪の青年は珍しく少し迷った様子だったが、それでも気を取り直して淡々と続けた。
「・・・・・・昨日のドレスより、今着ている革服の方が似あう」
 言葉以上の意味を感じて、シュエリは一瞬、返す台詞を失った。
 サージェはシュエリから視線をそらし、元のように机に向かって書類をめくり始めたが、一呼吸おいて付け加えるように呟いた。
「・・・お前の戦うところを見てみたい・・・」


「見透かされてるのか、怪しいところだなあ」
 サージェの台詞を思い起こしながら、シュエリは隣室にあたるジグドの部屋の前まで来た。
「・・・まさか、彼なりの告白ってことはないよな・・・」
 傲慢なように思えて、実はとても侮辱的な想像をめぐらし(何せ自分は男なのだから)、ぶるると頭を振る。自分に好いたの何のという男はハクヤだけで充分だった。
 ジグドの部屋は当然のように鍵がかかっていたが、鍵破りの技術は元盗賊のハクヤと行動を共にするようになってから、嫌々ながらも覚えてしまった。  
 ――鍵を破る前に、まず罠がないか調べること。モノによっちゃあ毒針とか毒ガスとか、あるいは呼子で建造物全体に侵入者の存在を知らせるものもあるからな。
 ハクヤの警告を思い出し、ドアノブを見てみるが罠らしきものは見当たらない。シュエリは髪の中に忍ばせた針金を取り出し、慎重に鍵穴にさしこんだ。
 ほどなく、カチリと音がして鍵が開く。さほど難易度の高いものではなかったようだ。これがダンジョンの鍵であれば複雑さが増し、シュエリの手には負えなかっただろう。
 少年は素早く開いたばかりのドアをくぐり、統領の私室へ潜り込んだ。


 ジグドの部屋は、思っていたよりもずっと質素な作りだった。宝を独り占めしない気風の現れだと思った。
「中々立派な親分さんぶりってとこかな」
 軽口を叩いて、室内を物色する。
 シュエリの欲しい獲物があれば一番だったが、せめて戦利品のリストでもあれば重畳。それがかなわずとも、奪った宝をどこに隠しているかのヒントがあれば――。
 机、箪笥、寝台、次々に調べていくが、それらしい手がかりは無い。諦めかけたシュエリだったが、不意に思い出して床に伏せた。
 昨夜のハクヤとの情事を、ここから見下ろして覗いていたはずなのだ。床の一部に仕掛けがあるに違いない!
 慎重に手で石造りの床を叩いていくと、果たして一部だけ音の違う箇所がある。石の切れ目に爪をはさむと、微かに持ち上がった。上手く表面をカムフラージュしてあるが、これは――。
 したり、木板である。静かに開けてみると、小さな覗き穴があり、二階の小部屋を見下ろせるようになっていた。
「こんな感じで覗かれていたわけか」
 嫌な想像に思い当たって不愉快になる。
 他に手がかりはないものかとその穴をシュエリも覗いてみた。
 階下の、自分達が寝ていた小部屋を見下ろすと、ふと違和感がした。
「・・・何だ、あれ・・・?」


 開いた窓から寝台のシーツの上を通り越し、部屋のドアまで、50センチくらいの幅でぐっしょりと水で湿った道ができている。


「何か・・・濡れたものを引きずった跡みたいだけど・・・」
 不意に、階下から男の悲鳴がした。
「え?」
 恐慌状態から、最期の気力を絞り出し、いきなり止む声。間違いない、断末魔の叫びだ!
 一瞬の後、
「何事だ!?」
 隣室のサージェが荒々しくドアを開け部屋から飛び出す音。そのまま階下に走っていく。
 シュエリも慌てて覗き穴を閉じ、ジグドの部屋を出た。素早く鍵を閉め直し、階段へと急ぐ。いつでも魔法が放てるように、意識を集中しながら。


 階下へ降りると、強烈な生臭い臭いに襲われた。
 廊下へ出ると、シュエリ達の小部屋の丁度前あたりで、巨大な――海蛇がサージェに絡みつくところだった。
 青く鈍く光る鱗、金色の糸の瞳孔、血というよりは豚肉の色合いの細い舌、シュウシュウと耳ざわりに漏れる吐息――
「カマライラブ!」
 ぬめりのある鱗に覆われた海蛇の腹の下で、先に犠牲になったらしい海賊の男の体が横たわっていた。あらぬ方向にねじれた体が、彼の命が尽きていると告げていた・・・。
 シュエリの叫びに気づいたサージェは、海蛇に巻きつかれながらも気丈に声をあげた。
「他の者に知らせてくれ!」
 そのまま自慢の偃月刀を振り回すが、易々と鱗に弾かれる。
「早く!」
 一瞬、ためらった。知らせに行っている間に、間違いなくサージェは絞め殺されてしまう。
 しかし、貴族様の姫君が、戦えるはずなどないのだ。
 四足が退化してほとんど無いことから蛇の名を冠されてはいるが、カマライラブは歴とした竜である。そう簡単に勝ちを譲ってくれはしまい。
 あの鱗を通る刃物などそうそう無いし、魔法が効きやすいのが助けといえば助けだが、一撃で屠らないと次には強力なブレス(吐息)の報復がある。この状況では捕らえられたサージェがまず、まともに浴びるはずだ。
 シュエリは唇を一文字に結んで右手を掲げた。
「・・・死にたくなかったら、目を閉じて。これから起こることは忘れるんだ」
「な・・・?」
 サージェに静かに告げた後、いぶかしむ彼を無視して、少年は右手の紋章に語りかけた。
 手の甲から急速な冷気が発し、シュエリの体を一瞬にして蹂躙する。高揚とはほど遠い、ひどく冥い渇望が喉を駆け上がる。
 はめられた枷を一つ一つ外すように、シュエリは厳かにつぶやいた。
「――裁き」
 冥府の扉が開き、辺りは闇に包まれた。







                                       −続く−



 章題の「ふたつの海」ですが、海賊さんの話ですので、「海」には戦場の意味が含まれます。ここでは炎さんと坊、それぞれの戦場を描いているので、こんなタイトルにしてみました〜。
 カマライラブ・・・イラブっていうのは琉球語で蛇の意味です。沖縄に行くとクダカイラブ(海蛇)のスープを飲ませて頂けるんですが、まったりとオツなお味で絶品です。かなりクセはありますが、クセを乗り越えさせる、有無を言わせぬ味わいが有ります。珍味好きさんはゼヒ♪



†ふたつのうみ
BACK‡ ‡NEXT‡ ―― ‡Novel List