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「王子サマはこういう宿、初めて?」 問われて、シュエリは言葉をつまらせた。 飄と吹く風が歴史を描く。広大な草原の国・グラスランドには、勢力の大きな六つのクランの他に、豊かな個性と文化を育む少さな部族が数多(あまた)在り、それぞれ独自の方法で村の自治を続けていた。 その中でも豊穣の精霊を守護神として崇め、大地の恵みと命の誕生を最も尊いものとするリャチタという部族の中村は、グラスランドで一番賑やかな夜を持つ村として有名である。 「温室育ちのお坊ちゃんでも、興味くらいはあっただろ?」 命の誕生といえば出産で、この村ではアルマ・キナンほどでは無いにしろ、女性――特に妊婦は神の使いとして一目置かれる存在となっている。 精霊を祀る神殿は一つしかないが、神殿直轄の店はいくつも建ち並び、どういう商売を生業としているかと――男女の一夜の出逢いを提供する甘やかな宿であった。 他国の者が下世話に呼んで曰く── “逢い引き宿”だとか“売春宿”だとか冠せられるが、土地の者にとっては純粋に信仰の対象なので、そこで働く女性達は“リャチ・テ・ナリ(リャチタの巫女姫)”と呼ばれ、高い身分として敬愛される。部族の中でもとびきり美しく才能豊かな者しかその職に就けないため、娘の生まれた家では、幼い頃より武芸と共に化粧の術を仕込むのだ。 脳味噌も鉄でできていると風刺されるほどにお固いゼクセン騎士や、法王ヒクサクに忠誠を誓うあまり不能になったのではないかと揶揄されるハルモニア神聖国の魔法兵らが、グラスランドに遠征の際にさほど治安の良くないこのリャチタにわざわざ逗留するのは、ひとえに――甘い夜を過ごしたがる男共が多いからである。 勿論、辺境の村であるからには、衛生面も設備も決してよろしいとは言いがたい。しかし、地元で栽培される“リャチ・テ・サラ(リャチタの宝石)”という薬草を加工して作られた怪しげな香だの薬だのを合法的に寝所に持ち込めるとあって、一風変わった火遊びを悦しみたがる客は後を絶たなかった。 そして、丁度今、そんな怪しげな逢い引き宿にシュエリは旅の相棒とたった二人でいたのである。 赤い月が気だるげに目覚める宵。 蠱惑的な星の女神に照らされ、リャチタはその地にゆっくりと夜を産み出してゆく。 原色に彩られた木造の宿であったが、内装自体はグラスランド特有の極彩色のタペストリーが飾られていたものの、逢い引きをする宿としては質素なもので、さして色っぽい作りでは無かった。 が、不慣れなシュエリにとっては狭い部屋に不釣り合いなほど大きな寝台が、それもたった一つだけ無造作に置いてある、その事実だけで充分そわそわと落ちつかなくなってしまうのは無理もないところであった。 (・・・ベッドに威嚇されたのは初めてだ・・・) と、歴戦のトランの英雄も形無しである。 「温室育ちのお坊ちゃんでも、興味くらいはあっただろ?」 いたずらっぽい笑みを浮かべて問いかけて来る相棒に、少しむっとしながらシュエリは答えた。 「・・・全く無いって言ったら嘘になるけど・・。こういう所は、好みじゃないよ」 「こんなとこ、わざわざ来なくても悦しめるって?」 「う・・・、ま、そういうこと、かな・・・」 こういう逢い引き宿が苦手な理由はシュエリ自身にもよくわからなかったが、相手が適当に理由をつけてくれたので、少し安堵して便乗した。 実際は、色恋の経験が浅いことを見ぬかれて馬鹿にされるのがシャクだったからなのだが、そんな幼い意地を自分で認めるわけにはいかなかった。 すると、目の前の相棒は、得たり、とうなずいてみせた。 「それには同感だな。どこで食っても、お前は美味い」 「ば・・・ッ!」 耳まで真っ赤になったシュエリの前で、ハクヤは実に屈託なく朗らかに笑った。 「最低・・・」 言葉少なに反論したが、頬を染めての抗議に説得力なぞ無かった。 この小憎らしい旅の仲間は、自分の発した甘いセリフに、困ったように恥じらうシュエリの顔が見たいという、それだけの理由で狙って会話を運んだのだと気づいたからだ。 「そんなことはいいから、仕事するの! 美人の族長さんに頼まれて鼻の下伸ばしてた誰かのために、こんな宿に来てあげたんだから」 クルリと背中を向けたシュエリを後ろから強引に抱きよせて、少年の耳元でハクヤは抗議した。 「だ・れ・が、ルシアちゃんに色目使ってたって?」 「ハクヤ以外に、誰がいるっていうの」 「彼女は俺の親友の恩人なの。言ったろ、奴の過去を知った上で、嫌な顔せずに招き入れてくれたって」 ワイアットの話を持ち出されると弱い。シュエリにだって、『真の紋章を持っていた』『今は故人の』『かけがえのない』テッドという親友を持っていた身なのだ。 少年は小さく溜め息をついて、牙を収めた。 「・・・分かった。分かりました。ルシアさんのことで、つっ込んだりしません」 負けん気の強いシュエリが素直に退いたのを見て、今度はハクヤが面白くなくなった。 なぜなら、ここで矛を仕舞うということは、シュエリの中でまだテッドが絶大な存在として君臨している証しだからだ。 一瞬、黙った後。 「ヤらないって決めてたけど、やっぱりヤるッ」 ハクヤは強引にシュエリを寝台へと引き倒し、その自由を奪うように覆い被さった。 「え、ちょ、ちょっと!?」 驚いて大きな目を向けたシュエリに、ハクヤは子供のようにすねた顔で見おろして言った。 「なんか、むかついた」 しかし、そんな子供じみた表情でさえ、これがまた妙に母性本能をくすぐられてしまう、シュエリの好きなハクヤの一面であったりするのだ。 「むかついたってね、ワイアットのこと引き合いに出しておいて、自分勝手すぎ――」 そんな恋人にほだされ、抵抗に気が回らないまま、あれよあれよといつも通りに。 ――逞しい口づけで、弱い唇を塞がれてしまった。 |
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「ヒューゴはいるかい?」 時は、3日前にさかのぼる。 仮面の魔術師が引き起こした五行の紋章戦争が終結して2年。 カラヤクランは“新しい炎の英雄”ヒューゴの下、悲運なる真の風の紋章の持ち主が残した爪跡を、急速な勢いで治癒していった。 族長ルシアも、そろそろ正式にその地位をゆずっても良いと考え始めている。 そんな折。 ふらりとやって来たのだ、旅の二人連れが。 カラヤの村はどうやら代々女系が強いらしい。 そのせいか、大地の子アイラがゲドの率いる辺境警備隊に志願して、カラヤの門兵を退いた後も、これまた太陽に黒髪と褐色の肌を輝かせる少女が、勇ましいその任に就いていた。 名はマイネ。15歳になったばかりである。 アイラと同じく、容貌にはあどけなさが残るものの凛とした風情の少女であった。 アイラと異なるのは、彼女がはつらつとした覇気に満ちていたのに比べ、マイネは眉筋もきりりと若い凛々しさに包まれていた点だった。 マイネは腰の曲刀を抜き放つと、カラヤの民なら誰でも持つであろう、きらきらと美しい黒い瞳を旅の二人連れに向けた。 「カラヤの村を侵そうとする、お前達は何者だ」 年頃に似あわず、少し枯れぎみの声での誰何であった。 一人は頭上に羽根飾りを頂き、赤い衣装に身を包んだ青年。 先の戦争で風を意のままに操る恐ろしい魔術師の噂をマイネも耳にしていたが、彼とは別の意味でこの青年は風をまとっていた。飄々とした気風が、グラスランドの民族性を一身に象徴していたのだ。 もう一人は華奢な少年。これも赤い胴着を身に付けていたが、頭に巻いた草と竜胆の色のバンダナが少女の目を惹きつけた。 自分と同じくらいの年齢のようだが、隣の青年に比べ、少々お固そうな印象を受けた。 マイネの問いに、屈託なく笑って青年が名乗った。草原によく似あう、軽やかだが芯に響く声だった。 だが、そんな美声も、そこから繰り出される素っ頓狂な回答に打ち消されてしまった。 「んー、ヒューゴの心の友。で、ルシア姐さんの酒飲み仲間。で、先の戦争で逝っちまったジンバちゃんの悪友」 「は・・・?」 いきなり位のある三名もの名をさらりと出され、少女は戸惑うようなまなざしを青年に返した。 青年の傍らに控えていた少年が、呆れた顔で割って入った。 「またそんな名乗り方して。門兵さんに失礼だよ」 「ヒューゴと約束したからな。俺は死人で、死人は名乗らない」 「だから、早く偽名を考えてよって言ってるでしょ」 「嘘をつくのと、言葉を濁すのとじゃ、どっちがまっとうな生き様だっての」 悪びれずに言葉を返す青年に、少年は溜め息をついて返した。 「嘘と錠破りは盗賊の自己証明じゃあなかったの?」 青年に対してはじとりと半眼で応酬していた少年だったが、マイネの方に向き直ると、勇ましい少女に敬意を払うように頭を下げ、爽やかに笑んだ。 「不愉快な思いをさせてしまって御免なさい。訳あって連れは名乗れないけれど、怪しい者じゃないんだ。 僕はシュエリ。トランという東方の国から来た。聡明な族長ルシア様なら、この名に覚えをお持ちだと思う。何とか、取り次いで頂けないだろうか」 少年にとってこれは“商売用”、昔操った杵柄――かつて一軍を率いた際に発揮した軍主としてのカリスマを、仮面としてまとった笑顔であったが、異性に多感な年頃の少女がそれに気づくはずもなかった。 異国の白い肌――それだけでも充分に神秘的な風情なのに、似た年頃の顔だちも美しい少年に微笑みかけられて、心が和らがないはずがない。 加えて優雅な物腰と、気品。荒々しさを誇りとするカラヤの者達が持ちえない、異世界の魅力。 そして、シュエリと名乗った少年はよく使い込まれた自らの黒塗りの棍を差し出し、 「これをあなたにお預けする」 嫌味のない風情で、己の丸腰を申し出た。 だめ押しだった。 少女はまだ警戒を解きはしなかったが、刀を降ろすと、 「・・・しばらく、ここで待て。ルシア様に伺いを立てて来る」 「感謝する」 なおも、棍を差し出そうとする少年に、マイネはきっぱりと応じた。 「それは必要ない。カラヤの戦士にとって武器は己の証し。加えて、お前の棍には年季を感じる。それは命に匹敵するもの。そのまま、持ちおけ」 戦士としての礼を尽くした少女の態度にシュエリは目を細めて――今度は商売用ではなく心から、もう一度笑んだ。 「ありがとう」 村へと入って行ったマイネを見送ると、シュエリは傍らの青年に不機嫌な――こちらが本来の表情であるが――まなざしを向けて、 「まったく・・・グラスランドに入った途端、外交は全て僕に押しつけて。他所じゃ門兵なんていないも同然てくらい、まばたきしてる間に口説き落とすくせに」 「シュエリのお手並み、拝見してみたかったんだよ。久しぶりに、英雄としての顔を見られたな」 青年はいたずらっぽく笑って、軽く応じた。 「そういうの、キライなんじゃなかったの? 炎の英雄様は?」 「コイビトの側面なら、時々は見たい」 わがままなんだから・・・と、少年は青年を見、その後ろに映る青空に視線を滑らせ、また青年に視線を戻すと、おおげさに溜め息をついた。 そう。 この二人連れの旅人は勿論、 かつての炎の英雄ハクヤと、トランの英雄シュエリである。 −続く− |
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