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昼なお影の精霊たゆたう獣の山道を登ると、眼下に翡翠の海を望む崖に出た。 初夏の日差しの中、大きな石造の館が豪奢な姿を誇らしげに現した。 元々どこかの貴族が別荘として所有していたらしいが、戦乱のさなかに打ち捨てられ、今は無骨で無造作な改築を加えられて海賊共の砦となっていた。 もとは絢爛だったであろう館の装飾は見る影もなかったが、広さだけは一人前の豪族の別邸然とした大広間に、陰気くさい顔の粗野な男が駆け込んできた。 広間の最奥、上座に座る男に、上ずった声をかける。 「親分、怪しい二人連れが・・・」 「なんでえ?」 親分、と呼ばれた男――名をジグドといい、年の頃は30代半ばだろうか、赤みがかった黒髪を黒いターバンで束ね、男らしい浅黒い筋肉質の肌、黒い瞳、勇猛たる立ち振舞いは中々に偉丈夫であった――が振り向くと、広間の戸口で平伏した部下の後ろに、青年と少女が立っていた。 青年は年の頃20そこら。赤い西方の装束で身を包み、陽が当たれば銅色にもみえる黒髪には羽根飾りを頂く。飄然としつつも凛とした覇気を纏っていたが、どこか年不相応な不遜さと、修羅の過去を湛えた鳶色の瞳が、ぞくぞくとする印象をジグドに与えた。 片や少女の方は、年は16ほどであろうか、高貴な生まれのものだけが持ちえる澄んだ気品が漂い、伏し目がちな紫水晶の瞳は脅えからか憂いを秘め、百合のような清楚な艶を放っている。薄手の白絹の装束はくるぶしまでも隠し、彼女が淑女であると主張していた。少女の華奢な両手は同じ絹を用いた薄手の手袋で包まれていた。 ――今は両者とも腕に縄をかけられている。 「獲物か?」 うろん気な視線を部下に返す。 「ええと・・・娘っこの方は獲物らしいんすが・・・」 「――用心棒に雇ってもらえないか?」 縛られた若者が、恐れ気もなく口にした。若さゆえの爽やかさと色気を湛えた、良く通る心地よい声だった。 「・・・ほぉ? 腕っぷしで稼ぐ俺達に、用心棒が必要とでも?」 「そりゃ、試してもらえれば。俺の相棒はそこの三下に貸してるが、素手でもイケるぜ?」 見ると、若者にかけた縄を持った部下が赤鋼色の棍を持っていた。使い込まれた良い武具だということがひと目で分かる。 「武器持った奴を親分に対面させるわけにはいかねえんで、取り上げやした」 目の前の青年が熟練の手練れだということは、その洗練された猛禽のような物腰から容易に想像できた。炎の女神の寵愛を受けているかのような雄々しい風情だ。ジグドは興味をそそられた。 「で、そっちの娘は?」 青年が答える。 「こちらの統領様への貢ぎ物。ここに来るまでに地方貴族のキャラバンから、かっさらってきた。むさい男一人じゃ、食える飯も食えないだろ?」 ジグドは顎に手をやって、ニヤリと嗤った。 「気が利くねえ。若すぎて俺様の趣味じゃあねえが――サージェ」 「はっ」 ジグドの傍らにひかえた青年が、かしこまって返事をした。25・6歳の鋼のような筋肉を持つ、細身の男である。薄い色めの銀髪が、水色のターバンからのぞいていた。この辺りの人種には珍しいから、流れ者かもしれない。 「手合わせしてみな。勝てば、あの娘をお前にやろう。似合いだと思うが?」 サージェは眉一つ動かさなかった。代わりに、腰の偃月刀(えんげつとう)を抜き、若者の元へ獣のように素早く近づくと一振り、振り下ろした。 若者にかけられた縄が、はらりと切れた。若者の皮膚には傷一つつけない、恐るべき技量であった。 「・・・棍を」 サージェが指示すると、縄役の部下が赤銅色の棍を赤い装束の青年に返した。礼も言わずに受けとる。 「・・・いざ」 サージェと青年が広間の中央に立つ。何事かとわらわら集まってきた子分の海賊どもが、遠巻きに円陣を組む。青年が逃げ出せないように、との威嚇であった。 ジグドの雷鳴の号令が広間に響いた。 「始め!」 ――勝負は一瞬だった。 最初に動いたのはサージェ。棍と刀の戦闘は、その間合いの差が勝敗を左右する。長い棍では懐の敵を攻撃できないし、短い刀では間合い外の獲物には無力だ。 それを知っていたサージェは山猫のごとき身のこなしで、あっというまに若者の懐へ入り込み反った刃を稲妻のように閃かせて袈裟懸けに振り下ろした。 若者はなお飄然と不敵な笑みを絶やさないまま、眼前に斜めにつきたてた棍を軽く左へ払った。 刹那。 カキン、と軽やかな音を残して偃月刀が持ち主の手を離れ宙へと舞った。二、三度クルクルと観衆をあざ笑うように空で踊った後、赤い装束の青年のそばに従順に突き立ち、青年は当然のようにそれを抜いて高く掲げた。 円陣を組んでいた海賊達が息を飲んだ。ジグドも目を細めた。 ありえない。 サージェは武術においてジグドの右腕であり、参謀も兼ねる経験豊かな一の部下だ。 しかも、間合いの長い棍使いの弱点である懐まで侵入した刃を払うなど、人間業では無かった。獲物との距離、互いの獲物の速度、角度、それらを全て計算した上で万に一つほどの確率でお目見えできるかもしれない、それは神技だった。 いや、計算ではなく、恐らくこの若者は天性の勘でそれをやってのけている! 「そこまで! ――いい腕だ。お綺麗な型ばかり追求する貴族様の護身術とは違う、実戦的な技だな」 ジグドは豪快に手をたたいた。 若者は、その評価に礼を言うでもなく、当然のように受け流した。 「今日から貴様は俺の舎弟だ。働き次第では、サージェに続く左腕くらいにまで取り立ててやってもいい」 広間に集った海賊達はどよめいたが、今の化け物じみた棍術を見せつけられては言い返す言葉も無い。 また、実を言うとあまりの神技に、思わず惚れ込みそうになる自分を必死で抑えている者も少なくなかったのである。ジグドも素晴らしいカリスマの持ち主であったが、この青年も中々どうして、人の上に立つ器と魅力を惜しげもなく晒していた。 「じゃあ、親分さん。素晴らしい勝負を披露した俺に褒美など下さいませんかね?」 悪びれず若者が問いかけた。 「ほう。何が望みだ?」 「――あの娘を」 白絹に身を包んだ少女が小さく肩を震わせた。 図々しいにも程がある。ジグドは半ば呆れて、 「・・・たった今、自分を雇う代わりにと献上した貢ぎ物を、自分で頂戴したいというか」 「この娘は、そこの偃月刀野郎に下げ渡されるものだった。そいつを俺が倒した。つまり、所有権は俺に移った。違うかい?」 一瞬、沈黙が大広間を支配した。 が、次の瞬間、ジグドはさも愉快そうに大声を上げて笑い、 「サージェ、お前はどうだ?」 「・・・統領の、御意のままに」 「よし分かった。その娘は、貴様にくれてやる。――だが」 若者が、目の端でぴくりと反応し、次の言葉を待った。 「新参者のてめえがあまり良い目を見ると、古参の舎弟どもの指揮に関るんでな。その娘の"お初"はてめえにやるが、一晩楽しんだら他の者に回せ」 「・・・御意のままに」 若者は、たった今打ち負かした剣士の声色を真似て、おどけて応じてみせた。 |
高かった陽も落ち、海鳥の鳴き声も眠る刻となった。 二階の東側の小部屋が、若者(と、その戦利品であるところの少女)にあてがわれた部屋だった。 小さな飾り机と寝台があるばかりの粗末な代物だったが、新参者が個室を頂けただけで破格の報酬である。何より窓から海を見渡せるのが、中々ロマンチックで良い。懐の大きな親分さんに、申し訳程度には感謝しておこうと若者は思った。 部屋まで案内してくれた海賊の部下が去り、二人きりになったところで若者は寝台の側に棍を立てかけ、軽く伸びをして傍らの少女を返り見た。 「じゃ、せっかくのご褒美ですから、楽しみましょうか」 若者は悪戯っぽい笑みを浮かべると、白絹の少女をグイと引き寄せ、傍らのベッドに慣れた手つきで組み敷いた。 「・・・ちょっと、本気?」 それまでの、悪漢に脅える清楚可憐な仮面はどこへやら、少女は勝ち気な視線を正面から若者に返して威嚇した。 「親分のご厚意を無にする訳にはいかないからなぁ、シュエリ?」 そうである。 なんと、この少女――いや、貴族のご令嬢に扮してはいるが、れっきとした少年――は、かつて赤月帝国を退けトラン共和国を樹立した解放軍の元軍主、シュエリ・マクドールその人であった。 もうお気づきであろう。 傍らの青年はハクヤ。西方の草原の国グラスランドで老獪なる語り部たちは伝説に謳う。“炎の英雄”の畏称で親しまれる、50年前に勇名を馳せた盗賊団“炎の運び手”の統領であった。 もっとも、二人の大層な肩書きも容姿も、トランやグラスランドから遥か離れたこの地方では、誰も知らない。 そして、今回の彼らの悪企みには、この方がむしろ好都合であった。 ハクヤはその昔、"輝ける"ハルモニア神聖国と一戦を交え、彼らを撃退した後、放浪の旅に出た。 旅の途中、ひょんなことからシュエリと出会い、別れ、また再会し、しばしば行動をともにしたが、トラン解放戦争・デュナン統一戦争を経て、今度はある目的のために二人で旅に出ることとなった。 そして、今がその道中なのである。 「アレがあるかさっさと調べて、すぐに去るんじゃなかったの?」 「そんなこと言ったか?」 とある事情から欲しいお宝がある。その宝が、どうやらここの海賊達がどこかに隠している山積みの戦利品の中に存在するらしいのだ。 二人は何とか海賊砦に入り込むため、一芝居打ったというわけである。 「急ぐ旅じゃないし、入り込んだ当日に妙な素振りなんか見せたら怪しまれるだろ?」 「それはそうだけど、こんな敵のまっただ中でなんて、冗談じゃない」 明らかに不機嫌だ。まあいい。こんなところで愛しいひとの機嫌を損ねる愚行は犯したくない。向こう1カ月、お預けをくらうのが目に見えている。 ・・・実を言うとお預け宣言されたところで、自分の手練手管があれば、嫌がるシュエリを簡単に甘い闇の底へ堕とせるのは分かっていたが、こういう営みはやはり双方の合意の上で行うべきだと、百戦錬磨の炎の英雄としては思うのであった。 何より、その方がお互い気持ちが良い――イロイロと。 それにしても、シュエリをまず自分の部屋に招けたのは幸運だった。シュエリが男だと知られるわけにはいかなかったし、何せサージェとの決闘の際、広間に集まった海賊達がシュエリに対して発した物欲しそうな視線を、ひしひしと感じていたのだから。はっきり言って不愉快だった。 引き際はあっさりと。ハクヤが寝台から軽やかに身を起こしかけたそのとき、不意にその動きが止まったので、一緒に起き上がろうとしていたシュエリは青年の胸元にぶつかりそうになった。 ハクヤは何事か探っている様子だ。一瞬の沈黙の後、 「・・・貴族のお嬢ちゃん、こういうのは初めてかい?」 と、ハクヤは艶のある、だが、凄みをきかせた低い声色で言いながら、先ほどとはうって変わって乱暴にシュエリをベッドに引き倒した。 「な・・・!?」 「他の下衆どもに譲らなかったこと、感謝してもらおうか」 言うが早いか、ハクヤは噛みつくようにシュエリの唇をふさいだ。歯列を割って、すぐに不埒な舌が侵入してくる。 「ん・・・ん・・・っ!!」 シュエリは抵抗の意を示そうとしたが、何せ口をふさがれているので言葉もままならない。 ハクヤは、自分が誰よりもよく知っているシュエリの温かで柔らかな舌を己のそれでからめとり、ひどく性急に攻めたてた。 上唇を甘噛みし、舌先をつつき、するりと内部に入っては舌下の右奥をなぞりあげる。いずれも、シュエリの弱い箇所ばかりであった。 手慣れた悪党に翻弄されているのは分かっていたが、躯の芯からわき上がってくる甘い熱を抑えきれずに、 「ふ・・・」 一瞬、シュエリの体から全ての力が抜けた。その機を逃さず、ハクヤは唇を少しずらし、だが、シュエリのそれには軽く触れたまま、 「間者がいる」 と、一言、小さく鋭く言った。 シュエリは大きく目を見開いた。 こちらも修羅場をくぐった身だ。次の瞬間には、分かった、という視線をハクヤに返す。 ハクヤはシュエリを護るように覆い被さり、心の中で舌打ちした。 間者――というよりは出歯亀(覗き)組かもしれない。戸口に数名の三下が聞き耳を立てている気配を感じる。 なるほど、恐らくは処女であろう清楚可憐な貴族様の娘が、どのように乱れるのか拝見に来たに違いない。 それだけならまだ良い。 ハクヤは素早く、この館の構造を考えた。 確か三階建の造りで、統領ジグドの部屋は東側の最上階・・・つまり、自分達がいる部屋のちょうど真上だ。 ハクヤは、自分達がどうしてこの部屋をあてがわれたか悟った。信用するにはまだ早い新参者を、ジグド自身も検分するつもりなのだ。勿論、出歯亀などという下品な目的ではないだろうが、聞き耳だけでなく覗き穴があれば厄介だ。 折しもそのとき、頭上でキ・・・、と小さな音がしたような気がした。常人ならば聞き漏らす、わずかに木板がこすれる音。元々盗賊であった技量が幸いして、ハクヤは夜目もきけば耳もよかった。 そして、また、石造りの館で天井に木板が使われていること自体、そこが仕掛け板だということを雄弁に物語っていた。 振り仰いだところで、どこが覗き穴になっているか恐らく判別できはしないだろうが、まず間違いなくジグドがこちらを探っている。もしかするとサージェもいるかもしれない。 ――演じきるしかない。 不幸な貴族の少女と、それをかどわかした無慈悲な悪漢を。 (演出は派手な方がいいな) ハクヤは、寝台に仰向けに横たわったシュエリに馬乗りになると、ことさら荒々しくその白絹の衣装を破り裂いた。 「!」 薄手の布は予想以上に大きな悲鳴を上げた。戸口にいた不逞の覗き屋達をさぞ喜ばせたろう。 「お許しを――お許し下さい――!」 ハクヤのペースに飲まれながらも遅れを取るわけにはいかないと、脅える少女を演じ始めたシュエリの心意気に、「その調子だ」という満足げな視線を一瞬だけ返し、ハクヤは獣のようにシュエリの胸元に顔を埋めた。 「・・・・・・っ」 シュエリは眉根をよせて耐える。かろうじて理性を保ってはいたが、はっきり言って恐慌状態だった。 ハクヤに抱かれるのは構わない。これまでに何度も肌をあわせた仲だ。 ハクヤは悪漢を演じてはいるが、基本的に自分に無体はしないということも分かっている。 しかし、外野の前で、自分のあられもない姿を晒さねばならないのだ! さらに気になることがある。 ハクヤは一体どこまで行うつもりだろう。この状況下で、・・・まさか、最後まで? シュエリは探るように、己に覆い被さったハクヤを見た。 ちょうど自分を見上げてきたハクヤの視線と、正面からぶつかった。 ハクヤはシュエリの問いを悟ったようだった――どこまでする気なんだよ?――という問いを。 ハクヤは無言で、 人の悪いニンマリとした笑みを返した・・・・・・。 ――楽しんでいる! この状況を、この悪党は楽しんでいる! おおかた、「こういうシチュエーションも悪くねえな♪」なんていう軽い気持ちに違いない! 本気で抵抗しなければ、絶対にあれよあれよという間に最後までされてしまう。 遠くなりそうな意識を必死で励まし、シュエリは寝台のシーツを握り締めた・・・・・・。 ――意地でも堕とされてやるものか! −続く− |
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