‡ 灰色の天秤 ‡

3・幼い天秤









  「ごめんなさい! すいません!! ごめんなさいー!!!」


  男爵を救済したアレンは、現在の仮住まいである宿屋に大急ぎで「帰宅」したところだった。
  果たして。ああ、予想通り、彼の保護者たる暴君は、お気に入りのワインを賞味しつつ、カナヅチの手入れをして待っていた。
「…で。門限に遅れた理由は、アクマを退治した後ずっと泣いてたからだと」
「な、泣いてなんかいません!!」
「お前のその、腫れぼったいまぶたを見れば一目瞭然なんだよ。ったく、いちいち気持ちを沈ませてたら、この先エクソシストになってから身が保たんぞ?」
「う……」

  泣いてたから遅くなったんじゃなくて、まぶたの腫れを引かせるために時間稼ぎをしたのだが。結局、弟子の浅はかな企みは徒労に終わる。いつものことである。


「犠牲者に心をやるのは間違いじゃあない。その方が、アクマにとっても救済の価値が増す」
「……だと、いいんですけど…」
  おずおずと、アレンは上目遣いに師匠を見上げた。
「ま、今回は予想以上に頑張ったってことで、これで勘弁してやる」
  ごつん…と、カナヅチの「柄」が飛んでくる。
「った…」
  確かに手加減して貰えたようだ。


「でもね、師匠。思うんですよ。僕は未熟だし…若いし…」
「若いっつーか、幼い、だろ」
  空になったワイングラスを、クロスは軽く振る。
「ええそうですッ、がきですからっ」
  諦めたように、買い置きのワインをグラスに注ぐアレン。
「だから…僕はアクマを破壊することしか出来ないんだって、思うんです。それも救済なんですけど。でも…何か、もっと、犠牲になった人のことを理解できたらいいなって……」
「アクマの奴が、何か変なこと言ったのか」
  軽く飲み干して、続きを催促するクロス。
「…お兄さんのこと、凄く好きだったみたいなんです。兄弟って、そんなに強い絆になるんでしょうか」
「あー……」
  珍しく、クロスは視線を泳がせた。


「ゲル男爵が、銀髪の餓鬼を喰ったっていうの、理由は分かるか?」
「アクマになったからじゃないんですか? 千年伯爵の指示通り、人間を殺してた感じで」
  何を今さら基本事項を質問してくるのかと、アレンはきょとんとした。
  だが、いまだ視線を泳がせたままのクロスはさらに続けた。
「喰うっていう意味は?」
「頭からバクバク、でしょ?」
「………」
  ふ…と、愉快そうにクロスが笑った。
  彼が、嫌味でない微笑を見せるのは本当に珍しい。
「そうだな、多分な」
「何ですか、その適当な返事」


「まあいい。そろそろ休め」
  とっとと会話を打ち切ってクロスは無造作に団服を脱ぐと、半顔を覆ったペルソナをそっと外した。
(あ……)
  ごまかさないで下さい、と突っこむつもりだったのに、なぜか言葉が出なくなった。
  やっぱり綺麗だ。
  女性でもないけれど。はっきり言って身内みたいなものだけれど。
  燃えるような深紅の髪も、弓張り月のような切れ長の瞳も、ときおりアレンの胸のどこかに引っかかって、彼を縛ることがある。
  師と共に暮らすようになって、アレン自身が年を経るごとに、その胸のつかえは日増しに膨らんできた。

 <──兄は、美しい人でした>

  ふと、男爵の言葉が蘇った。
  違和感が生まれて、消えて、生まれた。
  あれ……?


「さて、寝るとするか。ワインを片づけておけよ」
  不意に声をかけられ、アレンは現実に引き戻された。
「え、今夜は女の人のところに行かないんですか?」
「ああ、女にねだる義理はなくなった。さっき稼いできたからな…お前が張り込んでたカジノで」
「え…」
  この派手な師匠が、いつの間に入り込んでいたのだ!?
「お前が男爵と連れだって出ていった後、騒然としたろう。あのままじゃ、お前の後を追うお節介が出てくるかもしれなかったし、アクマ退治の足手まといになっても困ったからな。客どもの雰囲気を紛らわせるために、一勝負打ってきた」
「………み、見てたんですか」
「慣れないルーレットで背伸びしてる馬鹿弟子の姿は、なかなか見ものだった」
  クロスはにやりと意地悪く笑んだ。
「……!!」


  何もかも、一人で片づけたと思っていたのに。
  結局、師匠の手のひらの上で踊っていただけだったのかと思うと、悔しくもあり、恥ずかしくもあり、そして……
  きちんと見守ってくれていたといのだと感じて、嬉しくもあり──。


「寝ます!!」
  必要以上に顔を赤らめて、アレンは自分のベッドに潜り込んだ。
  大慌てでシーツを頭までかぶる。
  こういう仕種を見ると、大人げなくちょっかいをかけたくなる。
  クロスはアレンのシーツをひょいとたくし上げ、
「独り寝には慣れてない。お前、女になれ」
「はぁ!? ちょっ…窮屈ですよ、師匠! ジャマですってば!」
  でかい図体を強引に滑り込ませ、さっさと自分が寝るスペースを確保する。
「これに懲りたなら、一人前に仕事を出来るようになることだ」
「そっちが勝手にカジノに行ったんじゃないですか! って、師匠!!」
  もう寝息が聞こえる。
「ああもう…どこまでもマイペースなんだから…」
  怒鳴ろうとした声も小声になって。
  子供のように無邪気な寝顔をしたクロスをまじまじと見つめると、まつげがとても長いことに気づいて。
  軽薄なセリフばかりを吐くその唇も、やけに逞しく見えて。

(師匠……)
  困ったように、アレンはもぞもぞとシーツをかぶった。


<──兄は、美しい人でした>
  男爵の微妙な声色の意味。


  男爵……
  僕は
  ……貴方の想いが少しだけ、分かったかも知れません──。











  ──いずれ手放す弟子に深入りは禁物。
  クロス・マリアン神父は、自嘲気味に夢の世界へと旅だった。
  いつか、愛弟子の両の眼は、白と黒以外のものを写すことになるのだろう。
  例えばゲル男爵のようなものにアレンが喰われることが有れば、きっと平静ではいられまい。
  それでも。
  親は子の、全ての表情を見るのはタブーなのだ。







                                      −終−





 アレンはほのかにクロスに憧れを抱いているんですが、師匠の方は…保護者と割り切って自己制御するか、一線を越えるか、まったり考えたいと思います。うっかり書いちゃいましたが、ペルソナの下、大やけどとかしてたらどうしよう(笑)。お世辞にも美しいなんて言えなくなるぞΣ( ̄□ ̄;)

  密かに、逢月の妄想としては、
    初チュー相手:マナ
    初エッチ相手:師匠
    初恋相手:ラビ
…なんて考えてるんですけど、まだ未定。神田は、ラビとアレンの関係を呆れつつ生暖か〜く見守る感じで(笑)。ラビと神田は戦友and悪友で♪
  初恋より先にえっちが来てますが(笑)。いえ、人生の先輩に対する憧れと、恋愛感情は違うと思うんですが、幼いアレンたんには区別が出来なくて、師匠とデキちゃった婚みたいな。

  どうでもいいですが、このページの壁紙は自作です。素材ページで配布する予定であります←CM(笑)。

†はいいろのてんびん・おさないてんびん

BACK‡ ―― ‡Novel List