「ごめんなさい! すいません!! ごめんなさいー!!!」
男爵を救済したアレンは、現在の仮住まいである宿屋に大急ぎで「帰宅」したところだった。
果たして。ああ、予想通り、彼の保護者たる暴君は、お気に入りのワインを賞味しつつ、カナヅチの手入れをして待っていた。
「…で。門限に遅れた理由は、アクマを退治した後ずっと泣いてたからだと」
「な、泣いてなんかいません!!」
「お前のその、腫れぼったいまぶたを見れば一目瞭然なんだよ。ったく、いちいち気持ちを沈ませてたら、この先エクソシストになってから身が保たんぞ?」
「う……」
泣いてたから遅くなったんじゃなくて、まぶたの腫れを引かせるために時間稼ぎをしたのだが。結局、弟子の浅はかな企みは徒労に終わる。いつものことである。
「犠牲者に心をやるのは間違いじゃあない。その方が、アクマにとっても救済の価値が増す」
「……だと、いいんですけど…」
おずおずと、アレンは上目遣いに師匠を見上げた。
「ま、今回は予想以上に頑張ったってことで、これで勘弁してやる」
ごつん…と、カナヅチの「柄」が飛んでくる。
「った…」
確かに手加減して貰えたようだ。
「でもね、師匠。思うんですよ。僕は未熟だし…若いし…」
「若いっつーか、幼い、だろ」
空になったワイングラスを、クロスは軽く振る。
「ええそうですッ、がきですからっ」
諦めたように、買い置きのワインをグラスに注ぐアレン。
「だから…僕はアクマを破壊することしか出来ないんだって、思うんです。それも救済なんですけど。でも…何か、もっと、犠牲になった人のことを理解できたらいいなって……」
「アクマの奴が、何か変なこと言ったのか」
軽く飲み干して、続きを催促するクロス。
「…お兄さんのこと、凄く好きだったみたいなんです。兄弟って、そんなに強い絆になるんでしょうか」
「あー……」
珍しく、クロスは視線を泳がせた。
「ゲル男爵が、銀髪の餓鬼を喰ったっていうの、理由は分かるか?」
「アクマになったからじゃないんですか? 千年伯爵の指示通り、人間を殺してた感じで」
何を今さら基本事項を質問してくるのかと、アレンはきょとんとした。
だが、いまだ視線を泳がせたままのクロスはさらに続けた。
「喰うっていう意味は?」
「頭からバクバク、でしょ?」
「………」
ふ…と、愉快そうにクロスが笑った。
彼が、嫌味でない微笑を見せるのは本当に珍しい。
「そうだな、多分な」
「何ですか、その適当な返事」
「まあいい。そろそろ休め」
とっとと会話を打ち切ってクロスは無造作に団服を脱ぐと、半顔を覆ったペルソナをそっと外した。
(あ……)
ごまかさないで下さい、と突っこむつもりだったのに、なぜか言葉が出なくなった。
やっぱり綺麗だ。
女性でもないけれど。はっきり言って身内みたいなものだけれど。
燃えるような深紅の髪も、弓張り月のような切れ長の瞳も、ときおりアレンの胸のどこかに引っかかって、彼を縛ることがある。
師と共に暮らすようになって、アレン自身が年を経るごとに、その胸のつかえは日増しに膨らんできた。
<──兄は、美しい人でした>
ふと、男爵の言葉が蘇った。
違和感が生まれて、消えて、生まれた。
あれ……?
「さて、寝るとするか。ワインを片づけておけよ」
不意に声をかけられ、アレンは現実に引き戻された。
「え、今夜は女の人のところに行かないんですか?」
「ああ、女にねだる義理はなくなった。さっき稼いできたからな…お前が張り込んでたカジノで」
「え…」
この派手な師匠が、いつの間に入り込んでいたのだ!?
「お前が男爵と連れだって出ていった後、騒然としたろう。あのままじゃ、お前の後を追うお節介が出てくるかもしれなかったし、アクマ退治の足手まといになっても困ったからな。客どもの雰囲気を紛らわせるために、一勝負打ってきた」
「………み、見てたんですか」
「慣れないルーレットで背伸びしてる馬鹿弟子の姿は、なかなか見ものだった」
クロスはにやりと意地悪く笑んだ。
「……!!」
何もかも、一人で片づけたと思っていたのに。
結局、師匠の手のひらの上で踊っていただけだったのかと思うと、悔しくもあり、恥ずかしくもあり、そして……
きちんと見守ってくれていたといのだと感じて、嬉しくもあり──。
「寝ます!!」
必要以上に顔を赤らめて、アレンは自分のベッドに潜り込んだ。
大慌てでシーツを頭までかぶる。
こういう仕種を見ると、大人げなくちょっかいをかけたくなる。
クロスはアレンのシーツをひょいとたくし上げ、
「独り寝には慣れてない。お前、女になれ」
「はぁ!? ちょっ…窮屈ですよ、師匠! ジャマですってば!」
でかい図体を強引に滑り込ませ、さっさと自分が寝るスペースを確保する。
「これに懲りたなら、一人前に仕事を出来るようになることだ」
「そっちが勝手にカジノに行ったんじゃないですか! って、師匠!!」
もう寝息が聞こえる。
「ああもう…どこまでもマイペースなんだから…」
怒鳴ろうとした声も小声になって。
子供のように無邪気な寝顔をしたクロスをまじまじと見つめると、まつげがとても長いことに気づいて。
軽薄なセリフばかりを吐くその唇も、やけに逞しく見えて。
(師匠……)
困ったように、アレンはもぞもぞとシーツをかぶった。
<──兄は、美しい人でした>
男爵の微妙な声色の意味。
男爵……
僕は
……貴方の想いが少しだけ、分かったかも知れません──。
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