「──僕を、賭けます」
噂には聞いていた。
勝負の初めはいつも無一文。ロハじゃ賭け事はできんぜと笑う荒くれ者どもに動じた様子もなく、照れくさそうに自分自身を賭けると言う。
得意の獲物はポーカーとブラックジャック。軽快にコインを場に並べ、決断の早さは天下一品。そして、大勝ちはしない。誰かの恨みを買うような決着の付け方はしない。
だが──
──決して負けない。
ほどほどに暮らしの糧を稼いだら、あどけない笑みを残してそそくさと帰る。
「師匠が門限に厳しいんで…勝ち逃げしちゃって、ごめんなさい」
勝負師の中には、イカサマをしているのではないかと疑う者もいなくはなかったが、結局、場末の賭場には不似合いなほどに礼儀正しく頭を下げる少年の風情を見てしまうと、問いただすことの出来る者などいなくなるのである。
そして、今夜は久しぶりにその少年がカジノに姿を見せた。
小さな町の小さな賭博場。だが、酒と煙草と女の香水の臭い…一攫千金を狙う男どもの欲望が立ちこめ、むせ返るような活気に満ちあふれていた。
「お、あのガキ、今夜も来てるぜ」
「まぁた、師匠とやらが女遊びする金を稼ぎに来たらしい」
噂の幼い勝負師を一目見ようと、すぐさま結構な人だかりが出来る。喧噪に包まれた賭場が、ひととき和む。
年の頃、十三ほどか…透き通るような銀髪は硝子を細工したかのよう。色素の薄い肌は呪われたように病的にも見えたが、持ち前の少年らしい快活な動作と表情が、儚さを吹き飛ばしていた。ランタンに照らされた瞳は、ときおり深紅の宝石にも見え、相対する者を魅了する。
ただ……左頬に刻まれた傷と、左手を覆う無骨な手袋が何やら曰くありげであった。
あるとき、カジノ常連の悪党が名前を尋ねたら、
「アレン・ウォーカーです」
と、生真面目な答えが返ってきた。賭場で本名を名乗る者などいないから、どうせあだ名だろうと皆が思っていたが、存外、本名かも知れない。
「これはこれは、アレン坊ちゃん。今夜もカード台で?」
いつも営業用の笑顔しか見せないディーラーも、カジノのマスコット的存在のアレンの登場につい表情がゆるむ。
「えっと…」
珍しく少年はカジノをぐるりと見渡した。
心なしか、銀のまつげに閉ざされた瞳が、少し翳(かげ)ったような気がした。
「今夜はルーレットでお願いします」
一同がどよめく。慌ててルーレット台を顧みる。
──まずい。
「…ゲル男爵が勝負中だぜ…」
荒くれ者の一人が漏らした。
今、かの台で勝負しているのは、初老の紳士。
黒のタキシードとシルクハット、ワインレッドの蝶ネクタイ…身なりはきちんとしているものの、並びの悪い歯はヤニで黄ばみ、品の無い立ち振る舞いが、成金でのし上がった者だと証明していた。アレンよりも素性が知れず、誰も他に挑みたがらないため、親(ディーラー)と子(勝負師)の一騎打ちになるのが常であった。
とにかく勝ち方が悪どい。完膚無きまでに相手をやりこめ、人生を覆すほどに追い込む。歴戦のディーラーですら、仕事でなければ勝負は拒んでいる。地獄の番人のような稼ぎ方で、アレンとは別の意味で評判になっていた。
ゲル男爵とは、カジノでの通り名である。勿論、本人が名乗ったわけではない。
…これには揶揄の意味合いが含まれ、「悪党にしても地獄の方からヘドを吐く──地獄には一歩及ばない者」という意味で、HELLの頭文字を一文字分だけ前に戻し、「GELL」とあだ名されたのだ。
「おい…アレン、悪いことは言わん。やめとけ。ほら…ルーレットは初めてだろう」
「ああ、今日だって賭け金は、オマエ、なんだろう? 負けたらサーカスに売り飛ばされちまうんだぜ?」
「いや、サーカスならまだいいんだがよ…。ほら…奴にはアノ…噂が…」
このところ、下町を騒がせている事件がある。
少年が行方不明になる事件が頻繁に発生し、被害者の共通点が、銀の髪を持つということなのだ…。
つい先日も一人が犠牲になり、その少年の姿を最後に見た者の証言によると、
「町外れの夜道を、ゲル男爵と一緒に歩いてた」
そうなのである。
口さがない者は言う。
あの男爵は少年を、森の奥の自分の館に連れ帰って喰っていると。
夜な夜な風に乗って幼い悲鳴が森を渡ってくると。
「マジでやばいんじゃねえの」
「喰われちまうぞ、アレン…」
いつのまにか結構なファンを獲得していたアレンは、周囲の常連客達から本気で心配されていた。
だが、当の本人は気楽なもので、あははと軽く笑った後、
「大丈夫ですよ。勝負させて下さい。あの台、お一人で寂しそうですし…」
「──全くです。誰も私に挑んでくれません。少年よ、私めと一戦交えて下さいますか」
アレン達のやりとりを聞きつけたのか、くだんの紳士が声をかけてきた。
「ケ…ッ。何が、私め、だ。謙遜なんてガラじゃねえ。ありゃ慇懃無礼って言うんだ」
「なあ、アレン。金が無いっていうなら、多少なら貸せるからよ。奴はやめとけ」
気遣う勝負師達に、ありがとうと一声をかけ、
「でも、それはカジノの流儀に反しますから。僕はきちんと勝負して稼いで帰ります」
アレンの真っ直ぐな瞳で見られると、それ以上、誰も拒むことが出来なかった。
「ようこそ、私の台へ──」
極彩色の腕輪で飾った右手を、ゲル男爵は差し出した。
アレンは左手を乗せようとして、ふと思いとどまり、右手で応じた。
「失礼ながら、坊やはあまり沢山の持ち合わせがお有りなように見えませんが、何を賭けてくれるのですかな?」
「僕です」
男爵はうっすらと目を細めた。
いつも通りのアレンの答え。
だが、ゲル男爵を正面から見つめ不適に笑んだ少年の表情は、カジノのディーラーや常連客の誰もが、初めて見る顔だった。
そうして、男爵と少年の勝負が始まったのである──。
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